山本五十六の言葉


みなさん、こんにちは!

毎日が新しい誕生日、今日は残りの人生の初日です!

さて、今日は何の話をしようかと思いましたが、今日は連合艦隊司令長官、山本五十六さんのお話であります

真珠湾攻撃を指揮した人ですが最後まで日米開戦に反対していたことで有名です。

海軍軍人ということで、最後は海の上、戦艦の上で亡くなっていたかと思ってましたが・・・

ミッドウェイ海戦の敗戦から、日米の主戦場はソロモン諸島へと移りました。ソロモン諸島では、連日激しい航空戦が繰り広げられていきました。ガダルカナル島での戦局は、全滅していき、多数の戦死者を出していきました。ニューギニア島でも日本軍部隊の玉砕が相次いでいきますが、日本軍はラバウル周辺に航空兵力を集めてその兵力を集中運用する「い」号作戦によって事態の打開を図ります。
山本五十六は自ら陣頭指揮を取るために、トラックからラバウルへと進出していきました。4月7日から実施された「い」号作戦は一応の成功を収めることになり、山本五十六自らがショートランド方面の各前線部隊に視察と激励に行くことになりました。しかしこの時には各部隊に暗号で送られた視察スケジュールはアメリカ軍によって全て解読されていました。
その一方で日本軍は、このとき暗号を変更したばかりだったので、まさかアメリカ軍側に解読されているとは気付いていませんでした。頻繁に航空戦が発生していたこともあり、視察を行うことはかなり危険を伴うことだったのは、視察に反対した幕僚だけではなく山本五十六自身もよく知っていたはずです。長官の乗った一式陸上攻撃機(一式陸攻)2機と護衛の零戦6機がラバウルを出発します。そして、ブーゲンビル島上空に差し掛かったときに、米陸軍戦闘機P-38(ライトニング)16機の待ち伏せ攻撃を受けました。零戦は必死の護衛でP-38の1機を撃墜しましたが、P-38の攻撃は一式陸攻に集中しました。一式陸攻は2機とも撃墜されて、1番機に搭乗していた山本長官以下11名は全員戦死しました。山本五十六の遺骨はその後戦艦武蔵によって本土へと持ち帰られました。
山本五十六の死は1ヶ月以上秘匿されて、5月21日の大本営発表で公表されました。そして6月5日に国葬が行われました。
いろいろな名言を残していますが、山本五十六の人物像を見た時、意外にも博打好き、女好きだったそうです
というわけで、今日は山本五十六の話をさせていただきました


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